About an anime

友人はよくアニメをチェックしており面白かったものなどを話してくれたりするので私も釣られて見たりするのだが、最近はグローバリズムが進んでいるせいなのか外国キャラがよく出てくるなと思う。(そもそも世界観が違うものが多いので外国も何もないのかもしれないが。出てくる人物の骨格が明らかに日本人の骨格ではないので。)

その中で最近の友人のお気に入りはとある筋肉トレーニング紹介アニメだった。ギャグアニメなので頭を空っぽにして見れる分にはよかったのだがトレーニングとしてはどうなのかと思う部分や英題に関して思うところがあった。

これらの話の前にあらすじだけでも話しておこうと思う。

お話としてはとある女子高生が友人から太っていることを指摘されてショックを受け痩せようと決意するが、自分でトレーニングをしても三日坊主で終わってしまうためどうせならと最近近くにできたジムに通い始めるというところから始まる。
彼女の目標としてはとりあえず夏までに浜辺で素敵な体を披露できるくらいの体にはなろうと掲げていた。そこでさっそくイケメンのジムのお兄さんに教えてもらいながら痩せるためのトレーニングをするわけだが、私はここで困惑してしまった。というのもアニメはいきなり筋トレをする部分から入り始めたからである。


私の知識の中ではまず痩せるというところを目指すのであれば最初に体脂肪を燃やすためのトレーニング、いわゆる有酸素運動やインターバルトレーニングなど、をやるものかと思っていたからだ。筋トレ自体には体脂肪を減らす効果はあまり無いため、筋トレ導入初期はあまり見た目は変わらず、痩せたいという人としてはモチベーションが下がるような気がした。もちろん筋トレを続けていれば徐々に筋肉量が増えて体脂肪の燃焼率が増えるため痩せやすい体になり結果的に痩せていくのだろうが、太っている最初はそうではないので早めに痩せたいと思うのであればまずは体脂肪を落とすトレーニングである程度体脂肪を落としてから筋トレを行った方が効果的なんじゃなかろうかと思ってしまった。まぁ趣旨としては筋トレを広めるという名目でやってるはずなので布教という観点で言えばまったく間違ってはいないのだろうが。

 

さて、もう一方の気になった部分はこの作品の英題についてである。
気づいている方がいるのかは分からないがこの作品には英題がついている。
英題には "How heavy are the dumbbells you lift?" と書いてある。
ここでも私は困惑した。本来の題名とニュアンスが若干違うように感じたからである。
題名には「ダンベル何キロ持てる?」と書いてある。この日本語の解釈は人によって数多あるだろうが私の解釈は「最高でダンベル何キロ持てますか?」というニュアンスだった。そのため英題を見たときには「ん?」と疑問符を浮かべることになったのである。
というのも英題をそのまま翻訳すると以下の二つのどちらかの意味になるためである。

  1. 「今この瞬間上げているダンベルの重さはいくつですか?」
  2. 「(いつもルーチンワークとして行っているトレーニングで)上げているダンベルの重さは幾つですか?」

現在形の意味的に言えばこの2つくらいの解釈しかないと思う。しかし、これらの解釈は私が想定していた日本語の題名の意味とはまったく違う物になってしまっている。そのため私は困惑したのである。題名も英題も両方ともあっているのだと考えるのであれば、題名の「ダンベル何キロ持てる?」も上の翻訳のどちらかの意味になっているのだろうが。
しかし、日本語で「ダンベル何キロ持てる?」と聞かれて一般的な日本の方の何人がそれを一発で「いつものルーチンワークの重さを聞いてるんだな」とかましてや「今この瞬間のダンベルの重さを聞いてるんだな」と解釈するのだろうか?
私自身は「何キロ持てるのか?」という可能性の話をしていると解釈してしまうので、そのまま最高値をXとして「Xキロまでなら」と答えてしまうと思う。
このように、少なくとも私のような解釈をしてしまう人がいるという意味では、この題名と英題の両方の存在には何かミスマッチが起こっているように思う。せめてどちらかをもう少しわかりやすい用に変更できればいいのだが。
題名を変えるなら「ダンベル何キロ使う?」とか「ダンベル何キロ(いつも)持ってる?」がもう少し元の英題に近い意味になっていると思うし、逆に英題を変えるなら "How heavy dumbbells can you lift?" とかもっと突っ込んで "What's the max weight of the dumbbells you can lift?" などにすれば元の題名に近いものになると思う。最高値さえ分かれば何キロ持てるかは分かると思うからである。

まぁこんな細かいことを気にして見るようなアニメではないというのはもっともなのだが、ずっと気になったので書き起こした。いや、それも本心ではないかもしれない。おそらくただ時がたち老いゆくだけの人生の中でせめてもの何かを残したいために鬼の首をとったように書いているだけなのかもしれない。

全くちゃちい小市民である。